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楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

『VOL61~VOL70』

日時 :2003年07月12日(土) 10時00分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL61、
初めて独立記念日を迎えてみて、サンディエゴ編。』

ニュース内容:

 『Independence Day(独立記念日)』について。

 7月4日は『Independence Day(独立記念日)』で
アメリカの独立記念日、『Fourth of July』とも呼ばれる。

 これはアメリカが英国から独立した日ではなく、
1776年7月4日に独立宣言が植民地の最高議決機関で
ある大陸会議(the Continental Congress) で採択されて
発布されたことに由来する。 アメリカが英国から正式に
独立を勝ち取ったのは7年後のパリ条約によってである。
英国は7年戦争(1756-1763)によりフランスの北米の
植民地を奪い、英国植民地の基盤を強固にしたが、
財政危機に陥り、植民地の課税を増したために植民地との
対立が深まった。 その税金は1764年の砂糖条例に始まり、
1765年の印紙条例、1767年のタウンゼント諸法などがある。
これに対して植民地は英国議会に誓願を出したりしたが、
対立は深まり、1770年にはボストン虐殺事件が起き、
植民地人が英国軍人に虐殺された。 1773年の茶条例を
契機に有名なボストン茶事件が引き起こされた。
1775年4月19日にはコンコードとレキシントンにおいて
英国軍と植民地人との武力衝突が起こり、それが
独立戦争へと発展した。大陸会議は1776年6月7日に
Thomas Jefferson, John Adams, Benjamin Franklin を
含む5人を独立宣言起草委員に任命し、独立宣言文を採択、
発表したのが7月4日である。 その精神はアメリカ発展の
精神的な支柱となった。1777年に独立記念日は既に
祝われているが、一般的になったのは1800年代になって
からで,特に百年祭で大きく盛り上がった。打ち上げ花火は
独立記念日にはつきもので、多くの都市で花火大会が
開かれる。ニューヨークのハドソン川の花火はとくに有名で
ある。 多くの町ではパレードや種々の行事が行われる。
この祝日には多くの家族がピクニックを楽しむ。

 北 尾 謙 治    同志社大学教授
 北尾S.キャスリーン  同志社女子大学助教授
 (ZET 191号 (August, 1989)の原稿)より

この日の1日の僕の行動を記そうと思います。
簡単に書いてみると・・・。
①朝11時半頃から12時半頃までサンディエゴ・
 ミラメサでコミュニティーをパレードを見る。
②昼2時頃から夜8時ごろまでサンディエゴカウンティーで
 開催されているフェアに行った。
③サンディエゴ・ダウンタウンにて『独立記念日恒例』の
 花火を見る。 車から見たもの合わせたら6箇所もの
 サンディエゴ市内の花火を見たのだ~!!!

僕はアメリカで生まれて初めての『独立記念日』を
体験しました。

 朝から本当に充実しました。 お陰様でサンディエゴの
日差しに負けで僕の顔(特に頬と鼻)はピンクになっています。苦笑。
これでも日焼け止めを塗ったんやけど、汗で効き目が薄くなったん
だよね。汗。

 アメリカ人の友達が今回の『独立記念日』を祝うのに
誘ってくれて、いろいろ連れて行ってもらった。
始めは、友達の家の地域であるミラメサのコミュニティーの
パレードを見ました。 この地域はフィリピン人が多い
らしい。 小さなパレードだったね。 今日は朝から快晴
だったけど、朝の11時ごろはまだ過ごしやすかったな。
最初は、サンディエゴ・ダウンタウンのアメリカの
軍人さんのパレードを誘ってくれていたけど、朝が9時半
だったので、「これは絶対起きれない。 というか起きたく
ない。」ということで行くのを止めた。あはっはあ。
来年ここにいたら、今度はダウンタウンで軍人さんの
パレードを見ようと思います。あははっはあ。
パレードの行進の人も沿道の人も「Happy 4th of July!」
って言っていたよ~!!あはははあ。

 次に、お昼を食べに友達の家に行って買ったばかりの
バーベキューセットで照り焼き風味にしたハンバーグを
焼いて、パンで挟んでハンバーガーにして食べたよ。
アメリカでしょ??ははははああ。 日焼け止めを塗って
再び出陣した。笑。

 そして、お昼2時ごろにサンディエゴから北に位置する
デルマーという町でかれこれ2週間フェアが開催されていて
いろんなイベントをしている。 いっぱいの食べ物屋さんが
あって目があちこちにいって大変だったよ。 もちろん、
試飲などもあったりして、結構楽しめたよ。あはっはあ。
小さなアミューズメント・パークになっていた。 そこで、
1つだけ乗り物に乗ったよ。 いわゆる絶叫マシーン
なんだけど、日本では見たことないやつだった。
高いし周るは周る・・・。笑。 ジェット・コースターでは
ないんだな、これが。笑。 その後無料のサメのショーを
見ていろんな物産店や会社などのアピールのセクションが
あっていろいろ見回ったよ。 なんと、『神戸パール』と
いうお店があった。 お店の人はアジア人だったけど、
『神戸』となっているので日本人だと思う。 ちょっと
話すればよかったな~。あはっは。 だって僕の実家から
神戸はご近所さんなんだもん。えへっへえ。 神戸も大阪と
同じく僕のテリトリーだからね~。あはははあ。 しかし、
『神戸パール』って有名なん?苦笑。 その後、
ちょこちょこ食べて、ラテンアメリカ系のお店で僕用に
首飾りを買ってやっすいけど今使っているサングラスよりは
質がいいということで買ってと・・・。 なんだかいろいろ
お金使ってね。 お父さん・お母さんごめんなさい。笑。
そんなこんなで動物のコーナーでブタ、羊やウサギなどを
見て会場を後にした。 時間はそれでももう6時間は
過ぎていたね~。 「結構いたんだな。」と後になって
思ったよ。あははっは。 日焼け止めなんてあまりの
暑さで汗で流れてしまったよ。苦笑。 だからここでかなり
焼けてしまった。 暑かったよ~!!汗。 でも、夕方には
海から近いということもあって、涼しく感じたね。

 入場料は10ドル50セントだった。 今日は一番
儲かる日ではなかったのかな~。 本当にすっごい人
だったよ~。苦笑。 もちろん駐車場代は別。苦笑。

 このフェアでスペインで留学中にいたサラマンカでの
ものをすごく似ていた。 なんだかすっごく懐かしかった
よ~。泣。 そして物産店なんて日本で一度行ったことの
ある大阪でのものとなんだか似ていたよ~。 なつかし。

 その後、『恒例の花火』を見ることになっていてんけど、
2ヶ所ほど行きたいところがあって最終的には、海の
隣であるサンディエゴ・ダウンタウンにした。 駐車場が
ないことが心配だったけど、なんとか場所があって止める
ことができた。 なんと~、最高の場所だったんだよ、
これが~、花火を見るのに~!!!!爆笑。
サンディエゴ・ダウンタウンの1箇所で2つの花火が
上がるのです。 だから二度おいしい~!!笑。 そして、
湾の向こうからは、サンディエゴのリゾート地である
コロナド・アイランドからの花火も左側ではっきり
見れたよ~! そして、右側にはミッション・ベイという
ところで上がっている花火も見ることができた。
ということで1箇所で3箇所分計4つもの花火を同時に
見ることができた~!! 花火を終わって帰っていると
サンディエゴで有名な『シーワールド』からの花火を帰りの
車から見ることができた。 そしてさらにどこの花火か
わからないけど、別のところでの花火も車からも見ることが
できた~。 だから合計5箇所6つの花火を数時間の内に
見ることができたの~!! 最高じゃない?? アメリカの
花火は日本の花火と同じでちゃんと出来ているのね。
スペインでも花火を何回も見たけど、あまりいけて
なかったんだよね。苦笑。 「上げたらいいでしょ~。」
って感じがして仕方なかったもんね。爆笑。

 そして僕の車は友達のところに止めてあったので、
少し休憩してから家に帰ってきた。 しかし、夜花火の
ために急遽海方面に行ってしまって、ちょっと寒かったのも
関わらず長袖を持っていなかった。 それがダメだったのか
友達の家に着いてからお腹を壊してしまった。 3度も
トイレに駆け込んでしまったよ。大苦笑。 いわゆる
『ぴ~ぴ~さん』になっていました。激汗。 以前にも
夜、海に行って散歩した後、お腹を壊してしまった。
きっと身体の体温調整がうまいことできなかったのかで
最後の最後で痛い目に合いました。 夜、海に行くときは
必ず1枚長袖を持って行きましょうね。 きっと僕だけが
なんだか身体が弱いのかな~!? 日本ではそんなこと
なかったのにな~。大苦笑。

 そんなこんなの初めての『独立記念日』はこんな感じで
充実して終わりました~!!! よかったよ~ん!!!

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月29日(火) 12時50分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL62、
初挑戦! 無料のパン教室に参加してみて・・・、1回目。』

ニュース内容:

 2003年6月から7月のかけて計6回のフリーのパン教室に
参加した。 日本人の友達の誘いで行くことになったんやけど、
最終的に4回参加しました。

 6月13日(金) 

 サンディエゴ・ラホヤ地域で開講した『無料のパン教室』に
行ってきた。

 予定は朝9時半から昼1時までということで、
毎週金曜日の教室である。 夏講座として7月の下旬まで
行われる。

 無料と言っても作り方やコツだけを教えてくれると
いうもので、材料費は別です。 パンやボールなども
持参なので揃えないといけないので、次回からの持参
しようかと思っています。 誘ってくれた友達は
次回も参加する気満々だったけど・・・。
友達は引越ししたばかりなので、調理セットが揃って
いるので問題ないと思うけど、僕はホームステイなので、
物を揃えるのにどうしようかと思っています・・・。
パンやボールは借りることができると思うけど、
油や細かい材料・・・。 揃えるのにお金かかるね。
でも、おもしろそうなのでやってみようかと思っています。

 ただ全部のクラスに出ることができないので、
どうしようかな。 でも、友達は参加する勢い。笑。
道具も共同でシェアをすることができるので、
一緒に参加したら楽チンかも。ははっははあああ。

 1回目の今日は全員で22人くらいいたらしい。
しかし、30人クラスで足りないようなので、
少ないと教室ができないらしい・・・。汗。
「お友達いっぱい連れてきてね。」って先生が言っていた。

 男は僕を合わせて3人だった。笑。 アメリカ人が
2人(おじさんと女性の付き添いと思われる若い人。)で
アジア人は僕だけ・・・。笑。 日本人の女性は何人か
いたけど、アメリカ人のおばあちゃんやおばさんが
いっぱいいたな。 はっははあ。 だって、ここは
アメリカだもん。爆笑。 僕の隣のおばさんはきっと
アラビア人だったと思う。 だって文字がアラビアぽかった
から。ははっははああ。 すっごくインターナショナル
でしょ?笑。 それも若い人からおばあちゃんまで。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月29日(火) 1時00分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL63、
初挑戦! 無料のパン教室に参加してみて・・・、2回目。』

ニュース内容:

 6月20日(金)

 『APPLE COFFECAKE』を作った。

 ひや~、2回目の無料のパン教室に参加して来たよ~。
実は足りないものがいっぱいあって、教室に行ってから
気づいたのです。汗。 でも、周りのアメリカ人の
おじちゃんやおばちゃんが親切で分けてくれた。へへっへ。
今度は忘れないように、今さっきスーパーに買出しに
行って来ました~。へへへへ。 なにせ前回1回目は
話しを聞いて先生が次回作るものを見ていただけなのです。
だから今日初めて自分で生地を作ったりした。

 生地を作って、『APPLE COFFECAKE』というパンを作った。
あのコーヒーは入っていないねんけど、名前はコーヒー
なのです・・・。 なんで?苦笑。 アップルはあの
アップルでこれはパンの生地の上に乗せるのです。
シナモンも入っていい香りがしていたよ。

 ちなみにアメリカ人の友達に聞いたのですが、
アップルは入っているけどコーヒーが入っていない。
「どうしてアップル・コーヒーケーキと言うのか。」と
言う疑問を問い掛けてみました。 そしたら、「朝食とかに
コーヒー・プラス・ケーキで食べるからだよ。」という
返答だった。 これで納得できますか? 僕はできません。
だって、牛乳で食べるかもしれないし、ティーで食べるかも
しれない。 なんでコーヒーなんだよ~!爆笑。
ケーキにはコーヒーってイメージがアメリカ人にはあるん
じゃないのかな? アメリカン・コーヒーなどと言う
薄味のコーヒーがあることだし。ははっははあ。
「ケーキというかパンなんだけど・・・。」と僕はさらに
疑問ができたのですが・・・。 確かにホットケーキ
(パン・ケーキ)と呼ぶし、カップ・ケーキというもの
ある。 パンなんだけど、やっぱケーキなんだよね。
日本の感覚と違うんだよね、きっと。ふふふ

 昨日スーパーで自分用のパン用のの容器を買ったよ。
なんと僕は自分専用のパン用の容器を持っているのです!
はははははっはああ。 これに小麦粉とイーストなどが
あればどこでもパンが作れる!!!!へへへへへえ。
いわゆる自分専用の包丁を持っているというのを
同じなの!大爆笑。

 講座代はタダだけど、材料は自分で揃えないといけない。
結構1個1個を揃えると結構値段がするので、一緒に
通っている日本人の友達とシェアしています。へへへへ。
スプーンやボールなどは教室に行ったらあるけど、
家から勝手に持って行こうと思っています。 今回は
アメリカ人の友達がいっぱい使わない計量スプーンなど
持っていたので拝借したよ。ははっはは。
なのせホームステイなのでキッチン用品は自分で買わなくて
いいんやけど、材料までは家から持っていけないので。

 教室内では生地とトッピングを作ったら時間が来て
しまって焼くのは友達の家でした。 彼女は引越しした
ばかりで今回始めてオーブンを使ったらしいねんけど、
全然火が点かなくって大家さんと中学生の息子が出動!笑。
無事に火がついて375度で40分ほど焼いていい感じに
なった。(実際は、焼く時間はおよそ25分から30分。)
でも、容器より生地の方がでかくなってトッピングがボロボロ
こぼれてしまって、ちょっと見た目が悪かったけど、
「う~ん、味はなかなかいいちゃうの~?」
って自分的には満足だった。 だって初めてだしね~。
しかし、作ったのはいいけど食べてくれる人が
いません・・・。 どなたか毒見をしてくれませんか?
大爆笑!!! 毒は入っていないけど、太る要素の素が
いっぱい入っています・・・。はははははっはああ。

  是非みなさんパン作りにチャレンジしましょう!
案外思っていたより簡単だったよ。 でも、高度なものは
いっぱいあるんだよね。 初心者にはこれで十分。
次回は『シナモン・ロール』だったけど、参加出来ず。汗。

 ユタカン、サンディエゴ

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日時 :2003年07月29日(火) 1時15分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL64、
初挑戦! 無料のパン教室に参加してみて・・・、3回目。』

ニュース内容:

 7月11日(金)

 『FLOWER SHAPED COFFEE CAKE』を作った。

 今日は3週間ぶりのパン教室に参加しました。
先々週は試験ために行けず、先週は『独立記念日』で
休みだったのです。 今日は、『FLOWER SHAPED COFFEE
CAKE』というパンを作った。 『お花の形をしたパンで
コーヒーと一緒に食べる』と言ったような意味に
なります。笑。 以前の日記書いたけど、コーヒーは
入っていないのに、コーヒーケーキと言うのです。あはは。

 今日は完璧だと思って行ったら、『たまご』を忘れて
しまったよ。汗。 『たまご』は入れずに生地を
作りました。 パンにはいっぱいの小麦粉とバターが必要。
生地の中に、マンゴーやパイナップルなどの
ドライフルーツやレーズンを入れた。 なかなかいい感じの
生地ができて満足だったのね。笑。

 そして、今日は家から大きなプレート(パン)を
かっぱらって持って行った。笑。 そして、プレートの上に
12等分に分けた生地を伸ばしてお花の形に乗せていった。
大きいパンのはずがイーストで結構な膨らんだ。あはは。
そのまで教室でして、お昼を僕の家の近くのメキシコ・
レストランに行って食べ、友達の家のオーブンでパンを
焼いた。 パンの生地を作ってから結構な時間が経って
いたのと、今日もサンディエゴは暑くってかなりの大きさに
なってしまった・・・。汗。 オーブンで焼いてみたら、
お花の形というか長方形のプレートの形まで広がっていて、
きれいに並べたはずが形をなくしていたよ。大苦笑。
焼いたけど、焼き目もあまりつかなかった。 でも、中まで
ちゃんと焼けていたよ。 生地のそこはいい感じにサクサク
していたよ。 なんかクッキーみたいになっていた。苦笑。
これは、パンではありません。爆笑。

 そして、試食してみたけどなんだか物足りない・・・。
コーヒーと食べるものだしいいんやけど、このままだと
味気ないので、前回の教室で友達が習ったという『シナモン
ロール』の上にかけるシロップを作ってくれてかけてみた。
すっごく美味しかったよ~!! しかし、太りまっせ。汗。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月29日(火) 1時20分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL65、
初挑戦! 無料のパン教室に参加してみて・・・、最終回。』

ニュース内容:

 7月18日(金)

 『Orenge Sinamon Roll』を作った。 


 金曜の朝はお決まりの『パン教室』に出かけて来ました。
今日は『オレンジ・シナモンロール』だったよ~。
でも、僕があえて名づけると『なんちゃって・シナモン
ロール』なのです。大爆笑。 オレンジの皮は入れたけど、
オレンジ・ジュースを入れることを忘れてしまって、
『なんちゃって』になってしまった・・・。爆笑。

 今日はきちんと『たまご』を持って行ったし、「材料は
完璧~!!」と思っていたのに、『パンの小麦粉』と
『砂糖』が足りなくなって、周りの人からの助けでなんとか
かんとか生地まで作ることができたけど、最後の部分で
断念しないといけなく、僕の家に戻ってパンを伸ばす棒と
砂糖とホストファミリーからかっぱらって!?!?から
一緒にパン教室に通っている日本人の友達の家で続きを
することにした。

 結構いい感じで形でパン(プレート)に並べることが
出来て、そして焼いてみた。 13個の『なんちゃって・
シナモンロール』が出来た。 焼きあがりもかなり
いい感じで、今まで作った中で最高だったと思うのです。
というか「これ、売れちゃう?」 な~んて、友達と
話しをしていました。爆笑。 シナモンで匂いもいい感じで
見た目もいい感じ~。笑。 シロップをかけて、
ホストマザーと夕方から会うことになっているアメリカ人の
友達にあげた。 まだ食べていないみたいだけど、
夜11時も過ぎてからちょっと小腹が空いたので、食べて
みたけど、「かなり美味い!!」と自己評価点は高い。爆笑。

 最後の1回を残し、僕は今回でこの教室が最後なのです。
一度、『シナモンロール』の日があったけど、その日は参加
できなかったので、今回作れてよかったと思う。 一番作りたかった
ものが最後の教室で作れて良かった。 実際は友達の家で
仕上げたんやけどね。 だから教室は早めに出てきた。
次は9月からあるみたいやけど、どうしようかな~。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月30日(水) 10時00分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL66、
6週間のSUMMER SCHOOLを振り返って・・・。』

ニュース内容:

 6月16日~7月24日

 先日、コミカレの6週間のサマースクールが終わりました。
6週間、毎日(月~木)3時間10分の授業が繰り返し行われていた。
今回受講した科目は『スペイン語3』です。 40人のアメリカ人の
クラスメートの中に外国人は僕だけ・・・。 アジア系アメリカ人は
いたけど、アジアから来たインターナショナル学生は僕だけで、
日本語なんて聞くことなんてできない。汗。 でも、僕の周りに座って
くれたクラスメートが良い人ばかりなんですごく助かりました。
語学を勉強しているので、僕が英語でスペイン語を勉強していることに
関してすごく温かく応援してくれた。 親切にしてくれた。
先生はメキシコ人で、先生のスペイン語訛りの英語が聞き取れなく
かなり苦戦していた・・・。激汗。 州立大学付属の語学学校を
修了して、コミカレでアメリカ人と今回始めて勉強した。 すべて最初は
英語で理解していかないといけないので、アメリカ人学生とのギャップに
落ち込んだりもするけど、それは仕方のないことで自分の中で精一杯
やればいいんだよね。 その姿は先生も見てくれているし、きっと。
毎週小テストか試験が行われる。 毎週ワークブック、15ページ以上を
提出のために3日で仕上げないといけなかった。汗。 別にテキストを
読んだり宿題は別にあった・・・。汗。 1週間で1課進み、2週間おきに
2課分の試験があるというハードなスケジュール・・・。

 初めの2週間:

 なにがなんだか訳が訳のわからないままクラスメートとあまり
交流というかコミュニケーションが取れなかった。汗。 しかし、数人
僕に興味を示してくれる人達がいたので救われた。 1回目の小テストは
10問ほどのものだった。 そして、1回目の試験もなんとクリアー。

 中盤2週間:

 なんとかある一定のクラスメートと仲良くなり楽しくなってきた。笑。
しかし、勉強の量は半端じゃありません。汗。 クラスメートから電話が
あったりと情報交換もかかせません。笑。 授業中は結構発言するの
ですが、『スペイン語の早口言葉』を上手く言えたら、エクストラ・
ポイントをくれるということで、普段手を上げない生徒がバンバン上げて
いたその迫力におののいてしまって、手を上げることができなかった。
ポイントではないことろでは手を上げていたけどポイントになると
周りに圧倒されて引いていた・・・。激汗。 日本やスペインではない制度
なので、すごく驚いて戸惑ってしまった。 そんなこと先生には
言えないし、クラスメートからは「早口言葉言ったらいいのに~。」と
言ってきたけど、僕の状況がわかないんだよね・・・。苦笑。 「次回は
必ず!」と思ったけど、数回行われたこの『早口言葉』、一度も
言えなかった。汗。 だからポイントなんてありません。激汗。
2回目の小テストは、2人組になって解いていくというもの。 そして、
2回目の試験は、あまり良くないと思っていたらクラスで90点以上を
取ったのは僕だけだった。 クラストップの点数をゲットする。笑。
4週間の成績などの途中経過のレポートを受け取った。 クラス・
ランキングで僕は2位だった。 エッセイの提出があり、テキサスにいる
中米のベリース出身の友達に電話で添削してもらって出した。
クラスメートの1人が日本のお菓子が好きで、よく日系のスーパーに
買いに行っていたそうです。 しかし、数ヶ月前に移転しまって、
彼はお店が潰れたかと思っていたらしいです。 しかし、以前と同じ
敷地内にあるねんけど、その新しい場所を教えてあげたら速攻で
行ったらしい。 数日後、彼がお気に入りの『きのこの山』を買って
きてくれた。爆笑。

 最後の2週間:

 勉強の佳境になってきて、短い間に仕上げないといけないことが
多々あった。 プレゼンテーション(発表)をしたり、最後の小テストと
最後の試験を受けた。 最終成績は『A』だった。 プレゼン(発表)の
テーマは、『スペインやラテンアメリカもしくはアメリカで活躍している
(いた)アーティスト(歌手、俳優や建築家など)について。」だった
のです。 僕が選んだのは、スペインの女性歌手グループで昨年世界で
旋風を吹かせた『Las Ketchup』についてだった。 やってもやっても
心配で仕方がなかった試験勉強・・・。 ストレス気味で頭が痛かったよ。
時間があまりなく余裕が全くありませんでした・・・。激汗。
せっかく仲良くなったクラスメートともお別れ。号泣。 メアドや
携帯番号を聞いた。 もう学校で同じ勉強をすることはないけど、
個人的に交流を続けていきたいと思っています。 日本から持ってきた
日本のポストカードにメッセを書いてあげたよ。 ささやかなプレゼント
だけど、みんな喜んでいたな。笑。 日本の四季と奈良のホストカードを
あげた。えへへっへえ。 最後にして僕の株を上げ、そして日本人の
温かい心を使えることができたかな。爆笑。 ここで日本好きが増えると
いいな。あははっはああ。 そして、日本に関しての本にあった
『お好み焼き』、『茶道』と『城』のページをコピーして、
仲の良いクラスメートの男の子に『お好み焼き』をあげて、
『茶道』と『城』は以前の日記にも書いた来月日本に短期で文化を
勉強しに行くことになっている女の子にあげた。笑。 彼から何回も
「『お好み焼き』を食べに行こう。」と誘われている。笑。
まだ食べたことないらしい。笑。 そして、女の子には
是非日本に行って日本文化を感じてもらいたいと思う。笑。
「なんて親切なの~。」ってまた日本人『男』の株を
上げたね、ここで。あはははははっはああ。 日本人の
女の子だけが外人にもてるんじゃないぞ~! 日本人男も
そうなんだって~!!!!えへへへへへええ。爆笑。

 アメリカ人39人を抑えて、クラストップに立てたことに
誇りを持って・・・。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月30日(水) 11時00分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL67、
国境問題・アメリカ━メキシコ編。』

ニュース内容:

 6月25日の授業より。

 授業で3時間10分全部使ってビデオを
見ました。 そしてすごく勉強になった。
このビデオをスペイン語(英語字幕)で、たまに字幕なしで
英語での会話のシーンがたくさんありました。
このビデオを見ていろんな感情が一気に湧きあがって
来ました。 上手く書けないかもしれないけど、その辺は
大目に見てくださいね~。

 簡単にまとめると、題名は『EL NORTE(北)』という
もので、『中米のグアテマラ』の貧しい原住民『インディオ
(インディアン)』である主人公が『北』の裕福であると
される『アメリカ』を目指して行くというもの。
そしてアメリカに着いたのはいいけれど、そこでの困難に
ついてのお話しです。

 中米のグアテマラ

 内戦紛争かで中米のグアテマラは荒れていた。
小さな村に軍人が来て村人を連れて行った。 主人公で
インディオ(インディアン)である『ロヒータ(女)』と
『エンリケ(男)』は兄妹で、お母さんをどっかに連れて
行かれ、お父さんは殺された。 お父さんは自分の村を守る
ため不運に見舞われてしまった。 そんな村での一番の
話題は『北』での生活の話だった。 そして、村が破壊
されてしまって、ここにいても『怖いだけ』ということで、
兄妹は『北』に行くことに決めた。 なんとか知り合いから
『グアテマラ』から『北』に行くための情報と少しばかり
(彼らにしたら大金)のお金を手に入れ、出発したのです。

 中米のメキシコ(ティファナ)

 メキシコに渡って『メキシコ南部のオアハカ』という町に
いるインディオ(インディアン)を名乗ることにした。
中米も南米もインディオは同じ顔をしているという結論から
だった。 バスでの長旅でメキシコ北部の最終地点で
サンディエゴとの国境にあるメキシコの『ティファナ』に
到着した。 ここではアメリカへの不法侵入のチャンスを
待っている人がたくさんいる。 だから町の人口もかなり
膨れ上がっている。 ここで親切そうに装って別の町から
来たメキシコ人に騙される。 グアテマラの村の
知り合いから聞いたティファナにいるメキシコ人の住所を
紛失してしまうけど、なんとかそのメキシコ人のところまで
辿り着く。 このメキシコ人はすごく頼もしい存在だった。
助けてもらい、『アメリカ・サンディエゴ』への不法侵入を
試みるのです。 このメキシコ人はアメリカとメキシコを
簡単に行き来できる人で(そのような人いっぱいいる。)、
彼らは出来ない。 長くて狭く汚い排水溝みたいな
ところを通ることになる。 アメリカの国境パトロールの
ヘリコプターの音でドでかいドブネズミが彼らを襲った。
すごい数だったな~。 見てるだけで気持ち悪かった。
なんとかアメリカに渡ることができて、そこにはその
メキシコ人が待ってくれていた。 サンディエゴに入る。

 アメリカ(サンディエゴ)

 次の日にロサンゼルスに行くことになる。

 アメリカ(ロサンゼルス)

 この兄妹はお金がないけど、このメキシコ人がロスでの
仕事斡旋などをメキシコ系アメリカ人に依頼する。
なんとか仕事を手に入れることができる。 しかし、不法で
来ているので目立ってはいけない。 毎朝家の広場には
仕事のトラックを待つ男や女がいる。 ロシータは工場で
アイロンをかける仕事に就くが、イミグレーションの捜査が
入り逃げることになり仕事を失った。 そこで知り合った
メキシコ人のおばさんの助けもあってお金持ちの
アメリカ人の家の家政婦として仕事を見つける。 でも、
グアテマラとは違うので困難にあう。 洗濯を手洗いで
して来た者に取って機械で洗濯するのにすごく抵抗があり
字を読んだり書いたりできないので、操作が難しかった。
エンリケは上手いことトラックに乗ることができなく
すべて行ってしまって取り残された。 しかし、運が良く
レストランでの仕事をゲットする。 しかし、英語が
話せないので「1日いくら?」って聞かれてさっぱり。
その上お金の目安も知らないので、「1日20ドル
(約2500円)でどうか?」という問いに「うん。」と
言ってしまう。 しかしここにいる男や女は低賃金で
アメリカで仕事をしているのです。

 英語が話せないと話しにならないので、メキシコ人の
おばさんの勧めで無料で講座を開いている公共の学校に通い
英語の勉強を始める。 2人ともみるみるうちに英語が
上達する。

 エンリケの英語の上達ぶりにレストラン関係者が
彼を少し給料の良い地位へ上げてくれる。 しかし、同じ
レストランで仕事している不法の別のメキシコ人に妬まれ
イミグレーションに電話され、このホテルから出ないと
いけなくなった。

 そんな矢先「ボストンで仕事をしないか。」と誘いが
あったけど、ロシータを残してはいけないということで
断っていた。 しかし、仕事を失ってしまいもう一度
仕事をくれたメキシコ系アメリカ人のところへお願いに
行く。 同時期に順調だったロシータが国境を渡る時に
噛まれたドブネズミから病気にかかってしまい、不法だけど
病院に行かないといけなく何時間か待って良心的な病院は
彼女の診察に対応してくれる。 そこでこの病気がわかる。
この辺りからこの兄妹の間に溝が出来ていて、エンリケは
彼女の状況を全く気づいておらず、グリーンカードまで
発行してくれるということもありボストンを決める。
しかし、家族は連れて行くことができないということが
条件だった。 数時間後にボストン行きの飛行機が出ると
いう時に、ロシータを支えてきれていたメキシコ人の
おばさんが彼をようやく発見する。 ロシータはかなり
危険は状態であったので、医者が兄を連れて行くように
おばさんに言っていた。 しかしエンリケは
「仕事がなく、やっといい条件で仕事を見つけたので、
彼女の面倒を見てほしい。」とおばさんに言うが、
ボストンには行かずに家族を取ったのです。 しかし、
悲しくもロシータは亡くなってしまうのです。 一晩寝て、
次の日はメキシコ人風にいつものように家の前の広場に
来るトラックに乗って仕事に行くのです・・・。

 『北』に来たら不安がなくなって裕福になれると
思っていた。 しかし、アメリカはアメリカでいろんな
しがらみがあるのです。 その夢と現実に悩まされるの
です・・・。

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 ちょっと抜けたかもしれないけど、このビデオは
20年前もものだそうです。 しかし、今でなお同じ事が
繰り返し起こっているアメリカとメキシコの国境問題。
メキシコ(ティファナ)とアメリカ(サンディエゴ)の間は
大きな国境通過路である。 日本でも東南アジアや
中国の一部からの不法侵入で問題になっている。
僕はこのビデオで日本にも当てはまるなと思った。
『心が痛む』という言葉や『悲しい』という言葉を
使いたくない。 僕がもし使えば、僕は日本人という前に
僕の今の状況下を上のレベルに当てはめ、そして人間として
彼らを下のレベルと見なし自分が傲慢主義者になって
しまうから。 ただ今の状況にいさせてくれている
両親や日本の経済力に感謝することを忘れてはならない
ことだと常々感じる。

 しかし『心が痛んだ瞬間』はアメリカ人の学生があまり
真剣にとらえていないということ。 微笑ましいシーンも
あって良かったけど、そうでもない僕としては見ることが
できないシーンで彼らは笑っていた。 その神経がやはり
彼らにしたら現実味じゃないということなのだろう。
日本人としてアジアからの不法侵入者問題について僕は
どう考えていかないといけないのか頭から離れない・・・。
そして物欲の恐ろしさが感じた。 なんだかほんと
複雑で難しいよ~。 いっぱい学ぶことができました。
スペイン語(英語)でここまで理解できたのは、
なんだか発展中なのかな~。 ふふふ。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月30日(水) 11時15分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL68、
初!サンディエゴのゲイ・パレードを見物して・・・。』

ニュース内容:

 7月26日(土)

 日焼けしてヒリヒリして痛いよ~。涙。
そんなすごく日が出ていたわけじゃないのに、
サンディエゴの日差しは少しでも結構肌を圧迫する
みたい・・・。苦笑。 サングラスしていたから、
頬とかだけ赤くなっている。爆笑。 日焼け止めクリームを
塗ったけどすでに遅かったみたい。大苦笑。

 昨日から明日にかけて、サンディエゴのゲイエリアで
ある『ヒルクレスト』から『バルボアパーク』にかけて
『ゲイパレード』に関してのイベントをしているので、
人がいっぱいいる。

 今日は初めての『ゲイパレード』を見物に行った。
すっごい人だったよ。 「Happy parade!!」 「Happy pride!!」と
言って行進していた。 しかし、ゲイの人の数にまじでビビリ
ました。笑。 どこから集まって来るの?爆笑。

 2時間以上のパレードの後は、イベント会場がある
『バルボア・パーク』へ移動した。 そこで、ゲイの
イベントとは関係なく、『ヘンナ・タトュー』という
テンポラリーの刺青を入れた。笑。 2週間くらいで消える
らしい。爆笑。 夜はコンサートなどあるらしい。
明日も続くらしい。 僕は今日だけのチケットを買った。

 なんだか不思議な世界だったけど、いろんな人と話しを
して僕自身向上してきたいな~。 一方方向の考えしか
できない大人にはなりたくないな・・・。 え? すでに
もう大人ですね・・・。←今年25歳です。笑。

 ゲイパレード反対の人たちもいた。 プラカードに
『エイズを増やすな。』とか『ゲイは天国にはいけない、
地獄行きだ。』とか書かれていた。 なんだか悲しいよね。
ゲイの人だけがエイズを増やしているみたいな表現だし、
ゲイだから天国にいけないとは誰が言ったのか!?
天の声を聞いたのでしょうか? 反対するのはいいけど、
人権侵害に触れているところには賛成できないかも。

 なんだか今日もいろいろ勉強になったな~。
初めてだったのもあって、印象が強かったけど
サンフランシスコやニューヨークはもっと大きいん
だってね~。 お祭り色が強いけど、ちゃんと訴えて
いるんだよね~。

 スペインにいた時などゲイの友達がいたりして、
彼ら自信とても素晴らしい人たちなので、一概に反対なんて
出来ない。 ゲイというより相手のパーソナリティーを見て
発言したいと思う。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年07月30日(水) 11時20分AM
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL69、
祝!渡米!1周年の軌跡。』

ニュース内容:

 7月27日(日)

 本日27日で渡米1年を迎えることができました。笑。
去年の今日7月27日にアメリカに来たのです。
1年です、1年~!!! 早いと言えばそうだけど、
いろいろあったよ、ほんまに。激汗。

 サンディエゴに着いたのはいいけれど、荷物が行方不明に
なって2日間着替えもなかった。汗。 英語が話せないので
スペイン語で事務所で手続きをした。汗。 ホストマザーが
来てくれていたけど、荷物の件ですれ違いになりそうに
なった・・・。苦笑。 その時の会話も全然ままになら
なかったな。大汗。

 学校が始まって低いレベルから始まり、10ヶ月受け
徐々に話せるようになり書けるようになった。 しかし、
語学学校ではある程度まで行くけど、それからは自分で
本を読んだりしないといけない。 学校では
インターナショナルの生徒しかいないけど、「アメリカに
いるんだから。」と思い、アメリカ人の友達を探し始める。
日本人の男に捕まってくれるアメリカ人がなかなかいない
ので、苦労したけど今では数人だけど英語とスペイン語を
同時に使えるアメリカ人の友達などが出来て「ホッ。」と
しています。爆笑。

 語学学校を5月に修了し、TOEFLを450点以上を
取ることができたので、コミカレのサマースクール
からアメリカ人と勉強を始めて3日前6週間コースの
スペイン語の授業を終えた。 長かったよ~。汗。
寂しいのはせっかく出来たとても親切なアメリカ人の
クラスメートと面倒見のいいメキシコ人の先生と別れる
ことだった。涙。 アジア人というか外国人は日本人の僕
だけだったので、みんな温かく応援してくれたことに
感動を覚えた。笑。

 そして、今5週間の夏休みに入り来月下旬からコミカレの
秋のセメスターが始まります。汗。

 日本で大学を昨年3月に卒業し、学生時代からのバイトを
続けささやかながらのお金と両親の応援でここに来ることが
できた。 「お父さん、お母さんありがとう。」 とほんと
目の前にしたら言えないんだけど・・・。苦笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL70、
原爆を受けた町、広島と長崎から感じること。』

ニュース内容:

 8月6日

 今回興味があったテーマは『広島と長崎の原爆のお話』です。

 この時期、蒸し暑い日本で思い出すのは戦争の
話・・・。 アメリカにいるとふと8月6日(広島)
、9日(長崎)や15日(敗戦)のことを忘れそうになる。
そんな時のインターネットは本当に素晴らしいものだと
感じます。

 広島と長崎・・・。 世界平和が叫ばれている中、
実は未だに日本の平和憲法は不完全であいまいな憲法
なのです。 憲法を読んだだけだとよさげに見えるのですが
どのようにでも解釈できるようになってなっているのです。

 平和法が完全だと言えるのは、『中米のコスタリカ』の
法律なのです。 彼らは、完全に軍隊や自衛隊のような
ものを放棄しています。 アメリカからの援護も受けない
ように独自の方法を取っていると聞きました。 その点、
日本はどうでしょうか。 軍隊とは言わないけれど、
最新鋭の設備が整った『自衛隊』というものがあります。
攻撃された時の自己防衛だと言う。 軍隊がないから
良いとは言えないと思うのです。 ましてや相手の攻撃を
しないとして自分の手を汚さずもアメリカの大きなバック
アップがあるのです。 きっとアメリカ側に大きな死傷者が
出るかもしれません・・・。 それで平和憲法は成立
されているのでしょうか。 アメリカは日本じゃないから
良いとは言えないと思います。 同じ命です。 日本人は
手を出さずに守ってくれているアメリカ人が傷つくに同意
できますか。 コスタリカは完全に放棄しているので、
他国から攻撃されたら、一気に滅亡してしまうのです。
しかし彼らは彼らの法律を誇りに思っています。
素晴らしいです。

 そして、アメリカでは日本人に対して『真珠湾攻撃』の
話題で持ちきりです。 そして、日本にいたら、広島や
長崎が一番クローズアップされて日本は悲しい国だと
感じてしまうのです。 十分広島と長崎のことを勉強して
きた僕達は、どれだけ真珠湾のことを知って理解している
のでしょうか。 日本は被害者でもあり加害者でもある。
アメリカもそうです。 この2つが合わさってこそ平和を
考える一歩じゃないかと僕は思うのです。

 海外にいて戦争の話をするのは本当に辛い。 僕は、
誰も殺していないけどきっと僕の先祖が加担していたかも
しれない。 日本人としてアメリカやアジア諸国にして
きたことを真に受け止めて、国際貢献に力を注ぐべきだと
感じるのです。

 関西の大学生が折鶴を放火する事件が起きたと
いうことを聞いて、すごく悲しい気持ちになります。
その理由が、「留年し、就職活動が上手くいかずで
ムシャクシャしたから。」ということらしい。 理由が
理由で、去年大学を卒業した僕と年があまり変わらないと
いうことをが本当に嘆かわしい。 平和を願っている
ものに対して自分がしでかした留年という過ち、自己の
責任を他に危害として与えるんじゃないよ! アメリカの
大学生も言うほどじゃないと思うけど、自分の将来のために
向上しようと努力しているのはアメリカ人の学生だよ。
どんな理由があるにしろ、『良識ある行動』をしないと
いけない。 僕はこの言葉を小学生の時に両親に
言われたな・・・。

 ちなみに僕の父は『自衛官』なので、『自衛隊』の
話は大きなテーマなのです。 普段はあまり深く考える
こともないけど、やはり海外に出て外から日本を見ると
考えないわけにはいかないんだよね。 実は結構複雑
なのです・・・。 はい。

 ユタカン・サンディエゴ。

 次ページへ続く。


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